国政
かなり久しぶりに、ブログ執筆に取りかかっています。
8、9、10月は議会などもあり、ブログを書く余裕がありませんでした。
精神的に大きなストレスがあったとか、そんなわけではなく。
もちろん、元首相の銃撃事件はとてもショックでした。また、その後の一連の出来事にも非常に考えさせられました。
メディアによって信頼性が不確かな情報もあるので、断定的な発言はしたくありませんが、
・旧統一教会と政治家との深いつながりが判明
・国葬を執り行うことを巡り国民が分断
――というのが、この間の大きな出来事です。
特に旧統一教会問題については、議員活動をしている身だからこそ推測できることがあります。
議員は善くも悪くも、人の声をベースに活動しています。誰かから上がった要望を聞き、実現するために奔走するのが議員の仕事です。
その際、全体的な状況を俯瞰し、その要望が特定の人間や団体の利益にならないように調整をするのも議員の務めの一つです。
一方で、選挙で一定の票を得ないと職務を行えないのも事実で、そこにも少なからず気を配らなければなりません。
この仕事の難しさは、人との距離感にあると思っています。
一般的には、多くの人と人間関係を深めるのはいいことですが、関係を深めてあまりにも距離が近くなってしまうと、政治家は正しい判断ができなくなります。
かといって、距離を取ってしまうと仕事にもならないし、票にもつながりません。
自分のポジションをどこに置くか。選挙で選ばれる人間は皆、この問題を抱えていると思います。
しがらみという言葉があります。
私はさきの選挙にあたって、「しがらみを超えた政治」を訴えてきました。
ただ、しがらみは本来、ネガティブな意味の言葉ではないようです。
この時代の政治に対してネガティブな使われ方をしてきた理由が、旧統一教会と政治家の距離感にあると感じました。
国葬を巡る問題は、元首相への評価云々の話ではなく、国民の間で賛否が真っ二つに割れていたのに、首相が本気で解決しようとしなかったことが大きな問題だと思っています。
国民の分断をあおる事態を収拾しようとしない姿勢は、全く理解できません。
これを教訓に、三豊市議会では対立ではなく協調を意識し、議員活動に邁進していきたいです。
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