誕生日。
9月5日に、40歳になりました。
パチパチパチ👏
会って直接だけでなく、facebookなどでもお祝いの言葉を頂きました。
ありがとうございます♪
思い返せば、20歳になった日、30歳になった日には、何か絶望的な感覚がありました。当時の気持ちを、今ではなんとなく説明できます。
絶望感の理由は、自分の人生を20、30代までしか考えていなかったことです。自然と、自分の人生はそこで一区切りで、それから先は無いと思い込んでいました。
不思議な話かもしれませんが、本気でそう思っていたのです。
だから、20歳、30歳の誕生日に感じた絶望感は、「残り時間が少ない」という感覚から来ていたものだと思います。
当時の自分が刹那的に生きていた理由が、今になって分かります。
最近、サブスクで映画をよく見ます。
前からそれなりに見ていたけれど、今は週に2、3本。夜寝る前、コーヒーや炭酸水を飲みながら。
本当はお酒でも飲みながら見たいところですが、酔うと途中で話が分からなくなるので…。
ジャンルは主に政治、歴史で、ノンフィクションものが多いです。
海外の政治や歴史、それに日本の戦前戦後史を描いた作品に惹かれます。
昔、何回も見た作品でも、久しぶりに見たら全く見え方が違ったりします。
例えば、AとBという登場人物がいて、以前は圧倒的にAに共感する部分が多かったのに、久しぶりに見たらAの薄っぺらさ、青臭さが見え、と同時にBの人間性の深さが見えてきて、共感できるようになる、といった具合です。
この違いが、年齢による成長によるところなのかどうかは分かりませんが、共感の幅が広がっていることへの実感はあります。
僕は、一方的な主張をする人が好きではありません。
立場が変わると、話す内容も変わるのが人間なので、一方的に何かを批判したり、誰かを非難したりすることは簡単にはできないはず。
行動基準は、『自分がやられたくないことは人にしない』ということ。
年を重ねるたびにその量は増えていきます。
ある年齢ぐらいから、共感の深度も変わってきました。
人の悲しみや苦悩が自然と自分のもののように感じられ、同じように泣き、同じくらいの怒りが胸に湧き起こるようになりました。
そういったモノが胸に残り、日頃のエネルギーになっています。
エネルギーをできるだけ蓄えて、これから先も議会を舞台に発揮していきたいと思います。
先日三豊ゆめタウンさんの駐車場で行われたバスケイベント( ^ω^ )
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